スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  拍手する

最近のけいおん!

きららキャラット2月号(高校生編)と、きらら2月号(大学編)の感想です。
きららキャラット2月号(高校生編)

憂ってば、菫の「お姉ちゃん」に食いつきすぎ(笑

菫の設定がようやく明らかになりましたが、菫とムギの関係ってますますわからなくなりました。
今までの菫の主張だと、ティーセットを片付けるという命令を遂行できずに叱責されることが怖いから、ムギとの関係を隠していたんですよね?
でも菫は「お姉ちゃんはそんな人じゃない」と言う。
じゃあ菫は誰の叱責に怯えていたんでしょう?

まあなんにせよ菫がようやく心から安住の地を見つけられたようでほっとしています。
入学前のムギのずれっぷりも堪能できたことですし。

そういえば、アニメと原作の設定をごちゃ混ぜにするようで恐縮ですが、もしアニメのさわちゃんが来年の菫の加入を確信していたとすれば、アニメ最終話の「大丈夫、軽音部はなくならないわっ」にも違った意味がでてきますね。

-------------------------------------------------------------------

きらら2月号(大学編)

いささか唐突感がありましたが、よくよく思い出してみれば、恩那組や唯の知恵熱回からの流れを受けてるんですね。
でもりっちゃんってこういうこと言い出す性格でしたっけ?
アニメ版の律ならわかるんですが。

しかしこういったバンドとしての成長話があずにゃん抜きで進むことへの寂しさはありますね。あずにゃんの位置づけについては、原作とアニメで正反対になってるんだと実感させられました。

あくまで個人的な見方ですが、アニメが梓を「いつまでも放課後ティータイムの一人」として留めているのに対し、原作は梓を「高校に置いてきた大事な後輩」として、放課後ティータイムが四人に戻ったという描き方をしているように思います。それは決して唯たちが梓を突き放したのではなく、梓には梓の高校生活があり、部長として過ごす一年を尊重し、自分たちへ縛りつけまいとした結果だと受け止めていますが。

大学編において唯たちは四人のバンドとして放課後ティータイムを名乗っていますね。決してもう一人いるとは言わない。これが完成形ではないとは、一度も口にしてません。
そのあたりからなんとなく違和感を覚えてはいましたが、思えばアニメと原作とで卒業の描き方に違いがあったのはまさにそれが原因だったのかもしれません。

原作では最後に憂と純の加入が描かれましたね。翌年への希望、梓の救済として。
ところがアニメではそれがぼかされていた。憂と純はあくまで「手伝い」なのです。正式な入部ではない。
私はこれを、アニメで純にジャズ研所属という設定を加えた弊害や、唯の一人暮らし描写を省いたことが原因だと考えていましたが、もっと根本的な理由として、アニメは放課後ティータイムを五人のままにしておきたかったから、あのように来年のビジョンを見せなかったのではないかと思ってます。
悪い言い方をすれば、梓を放課後ティータイムにひきとめるという幻想を見せるため、あえて来年の梓から目を背けたと言ってもいいかもしれません。

念のため断っておくと、私は原作の大人な判断も、アニメのこだわりも大好きですよ。
いえ、むしろ私のけいおん観は今でもアニメ寄りです。
あの卒業式の日、梓に贈った歌に感謝と愛情を込めるだけではなく、あえて歌詞の中で「卒業は終わりじゃない」と語りかけさせたアニメの判断が大好きです。
  拍手する
コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。